稲妻草紙
2005/5/1
1951年,日本,98分
- 監督
- 稲垣浩
- 脚本
- 稲垣浩
- 鈴木兵吾
- 撮影
- 安本淳
- 音楽
- 鈴木静一
- 出演
- 阪東妻三郎
- 田中絹代
- 小暮実千代
- 三国連太郎
- 進藤英太郎
- 上田吉二郎
- 谷晃
宿屋で下働きをしながら屋台の飲み屋をやって病身の弟と博打打ちの父親の生活を支えるお雪。そのお雪が生活のために涙ながらに仕官のために送り出した昔の恋人船木源三郎が町に帰ってきたという。その同じ日、町には有馬又十郎というお侍がやってきて、ひょんなことからお雪と知り合いになり、お雪に人を探しているのだと告げる…
阪妻、絹代、小暮実千代、三国連太郎という豪華キャストで稲垣浩が監督した時代劇。時代劇だがこれは完全なラブ・ストーリーで、4人の男女が織り成す恋愛模様が面白い。
時代劇はヤクザ映画ではないから、いつもチャンチャンバラバラやって義理だ人情だ忠義だ武士道だというわけでは必ずしもない。中にはコメディもあれば、オペレッタもあれば、ヒューマン・ドラマもあれば、この作品のようなラブ・ストーリーもある。
この映画の中心にいるのは田中絹代演じるお雪、立派に任官したはずの忘れられない昔の恋人源三郎がやくざものの用心棒として町に帰ってきたという話を聞いて、いてもたってもいられない。一方の三国連太郎演じる源三郎のほうもお雪に未練たらたら、お雪と旧知の小暮実千代演じるおうたには「あんなやつは他人だ」とは言っても、どうあっても忘れることが出来ない。そして、ここにもう一人登場するのが阪妻演じる有馬又十郎、石段での偶然の出会いからお雪を思うようになってしまい、その思いは日々募る。そしてお雪も源三郎への思いを残しながら、まんざらでもない様子。そして、さらにおうたがこの又十郎に惚れてしまうことで四角関係が成立する。
そして、この映画は又十郎が源三郎を討つためにやってきたという出来事がひとつのプロットとして存在しているわけだが、映画の中心はそれよりも惚れたはれたの話であり、その惚れたはれたの話が又十郎と源三郎の関係にも色濃い影を落とす。だから、この映画はまず恋愛映画であり、この敵討ちというか討つ討たれるの関係というのはそれを展開させるひとつの要素でしかないということになるわけだが、しかしそこは時代劇、やはりクライマックスには阪妻の大殺陣がくる。
そして、この大殺陣がすごくいい。まず、この大殺陣は石段を舞台に展開されるのが、この石段がまず又十郎がお雪に出会った場所であり、そして又十郎が源三郎を討つ場所として又十郎が夢に、そして白日夢に見た場所なのである。最初に又十郎が源三郎をこの石段で討つ夢を見るシーン、それは又十郎がお雪の屋台で飲んでいるシーンの直後に突然挟まれる。そのシーン自体は短く、又十郎はその直後宿屋で目を覚ますのだが、画面が持つ空気の急な転換が非常に映画的な匂いをかもし出し、稲垣浩の演出の冴えを見ることが出来る。
それはともかく、大殺陣の話だが、この大殺陣が素晴らしいと思うのは、そのシーンがまったく美化されないリアリズムに徹しているからだ。大殺陣というと二枚目スターが悪者どもをバッタバッタというのが常道だが、この大殺陣では主人公の阪妻対6人、阪妻はバッタバッタと切るというよりは息も絶え絶え、自分自身も傷を負いながら、不恰好に斬りあいを演じる。この人間臭さがこの映画にはふさわしい。
恋愛映画の時代劇、その最後はその恋のために6人の男に立ち向かう。しかし、そこは日本の映画、決してストレートに思いを告げたり、お前のためになどという白々しいことは言わない。あくまでも奥ゆかしく、自分の恋に生きるより、相手のことを思う気持ちで生きて行く。それが欧米のあるいは現代の日本の恋愛映画とは一味違う。それがまたよいと考えるか、時代遅れと考えるかはあなたの感性次第だが、わたしはこっそりとこけしに込める恋情というのもいいものだと思った。