アイ,ロボット





2004/9/26
I, Robot
2004年,アメリカ,115分
- 監督
- アレックス・プロヤス
- 原案
- ジェフ・ヴィンター
- 脚本
- アキヴァ・ゴールズマン
- ジェフ・ヴィンター
- 撮影
- サイモン・ダガン
- 音楽
- マルコ・ベルトラミ
- 出演
- ウィル・スミス
- ブリジット・モナイハン
- ブルース・グリーンウッド
- チー・マクブライド
- アラン・デュディック
- ジェームズ・クロムウェル

2035年のシカゴ、ロボットが普及した社会の中でシカゴ市警の刑事スプーナーはロボットを信用できずにいた。そんな彼のもとに知人であるUSロボティックス社のラニング博士が自殺したという知らせが届く。彼の死の真相を調べるべくUSR社にやってきた彼は、博士のラボで1台のロボットに襲われる…
SF界の巨匠アイザック・アシモフが考案した“ロボット3原則”をベースとして作られたアクション・ドラマ。主演のウィル・スミスはプロデュースにも参加している。

この映画はたった一つのことを描いている。それは「ロボットはロボット3原則に背いて人に危害を加えることが出来るか」ということだ。
ちなみに“ロボット3原則”をおさらいしてみると、
1 ロボットは人間に危害を加えてはならない、また人間に危害が加えられようとしているのを見過ごしてはならない
2 ロボットは1条に反しない限り人間から与えられた命令に服従しなければならない
3 ロボットは1条及び2条に反するおそれのない限り自己を守らなければならない
というものだ。
この3原則はシンプルでありながら、なかなかそれを侵害することが出来なそうなかなり完成された“原則”である。
しかしこれは“原則”にすぎず、その原則が適用できないような場面ももちろん出てくる。ひとつは複数の人間が危害を加えられようとしているとき、そのうちの誰を助けるのかという問題である。これはロボットの能力にかかる問題であるが、第1条についての根本的な問題でもある。
そしてこれはアシモフ自身も提起している問題である。それはたとえば、大量殺人を犯そうとしている人が誰かに銃に撃たれるとする。それをロボットが助ける。するとその助けられた男はそのまますんなりと大量殺人を犯してしまう。ロボットはそれを防ぐことはもう出来ない。というような事態である。このような事態が起こったとき、ロボットは第1の殺人を見逃すことが出来るのかという問題である。
さらには、人殺しを止めるためにはその人殺しをしようとしている人を殺す以外に方法がないとき、ロボットはその人を殺すことが出来るのか。というような事態も想定することが出来る。
そのように想定できる事態を敷衍していくとこの映画になる。つまりこの映画は結局第1条の問題しか扱っていないということであり、最初に書いたこの映画が描いていることは「ロボットはロボット3原則の第1条に背いて人に危害を加えることが出来るか」ということになる。
果たして出来るのか? もちろん規則を破れば出来る。しかし、規則を破らずに論理的にそのような行動を出来るのか、それがこの映画のテーマとなる。
そして「出来るのか?」という疑問符がついたままこの映画は終わる。もちろん物語としては結末はつくが(その内容はネタばれ防止のためもちろん書かないが)、この問題に答えは用意していないのだ。もちろんそれでいい。アシモフだってそのことの答えは出していないのだから。
問題なのは、この映画の掘り下げ方があまりに浅すぎるということだ。私はSFにとってもっとも重要なのは哲学だと思うが、この映画にはまったく哲学が欠けている。ありがたいアシモフの言葉を掲げて、もっともらしく飾り立てただけのスペクタクルに過ぎない。この映画は何も残さない。観客に何も考えさせない。ロボットに対する恐怖心と親愛の情の両方をないまぜにして植え付けるだけだ。
スペクタクルとしてはもちろん面白い。CGもリアルだし、未来の世界のビジョンもかなりはっきりしているし、観客は何の迷いもなくその世界に入り込むことが出来る。そしてウィル・スミス演じるスプーナーのキャラクターもいい。もちろんサミーもいい。
しかし、何かが引っかかる。この映画は現実的な未来に向けたグローバル企業の陰謀ではないのか、フォックスとフェデックスとアウディとその他もろもろのスポンサー企業とアメリカ政府の陰謀ではないのか? そんな誇大妄想的な考えが頭に浮かんでくる。
それは、この映画が観客に考えることをさせず、感情を植えつけるだけだからだ。論理によって人間を説き伏せるには説得力がいるが、感情で人を動かすにはアジテーションだけでいい。来るべき未来にむけて、人々をコントロールするためにこのような映画が作られているのではないか。これはある種の洗脳のメディアなのではないか。などと考える。
人間とロボットの違いは人間には感情があることだということをやけに強調するのも怪しい。ここまでいわれると、これだけ人間の脳の機能をシミュレートできるなら、感情を植えつけることなど簡単なはずだと反論したくなる。人間はロボットがロボットであるために彼らが感情を持つことを制限しているに過ぎない。そのように思うと、感情的であることこそが人間の条件であるように思えてくる。そう思わせれば“権力”はわれわれはコントロールしやすくなるというわけだ。
もちろんそんなことは誇大妄想に過ぎないとは思うのだが、そのようにしてわれわれがコントロールされる時代も、遠い未来ではないという気はする。
映画からすっかり離れてしまったが、とにもかくにもそのようなものとしてスペクタクルを楽しむか、徹底的に猜疑心をもって裏に隠された真実を探ろうとするか。スペクタクルとして楽しまなければこの映画は面白くない。だから、そのように楽しんだ上で、アシモフの本を読んで映画が隠そうそしている真実を考えるといい。